航空機プラモデル。組み立てキット。
ミクロミルから完全新金型1/72 三菱J4M閃電試製局地戦闘機 インジェクションプラスチックキットが発売。
閃電(せんでん)は太平洋戦争初期から中期にかけて日本海軍で計画されたレシプロ推進式の局地戦闘機(防空戦闘機)です。
三菱十四試局地戦闘機(後の雷電)に引き続く高性能局戦として、三菱十七試局地戦闘機(M-70)と中島十七試局地戦闘機(N-60)の試作が予定されました。そのときに海軍の出した要求は次の通りでした。
・最高速度は時速 750 km以上であること。
・上昇力は高度 8,000 mまで10分で到達できること。
・武装は 30 mm機関銃 ×1、20 mm機関銃 ×2、30 kg又は 60 kg爆弾を二個搭載可能であること。
この非常に厳しい要求に対して、三菱設計陣によって考案されたのが双胴推進式の機体でした。
推進式のメリットはまず速度向上にあり、武装の機首集中・前方視界等がこれに続きます。推進式の機体はレシプロ戦闘機の性能の限界を打ち破る有効な方策として各国で研究された方式でしたが、一方でプロペラが後方にあるためパイロットの脱出に危険が伴うことや、エンジン冷却の問題等課題もありました。
発動機は、当時陸上戦闘機用の高高度発動機として三菱で開発中のハ43-21型を推進式に改めたハ43-41型を装備することとし、エンジンの冷却については胴体を一周する形で空気取入口をコックピット後部とプロペラ前の二箇所に装備することで対応しました。また水平尾翼は、プロペラの気流を逃れるために、主翼より高い位置に設置されました。
M-70は略符号「J4M1」、三菱十七試局地戦闘機として計画に着手されましたが、開発中に海軍機への名称付与法が改められたため1943年夏以降試製「閃電」と改称されています。
エンジン冷却については、試験用の胴体を使った実験に成功し冷却能力確保の見通しが立ちましたが、肝心のエンジンの開発が遅れ、また風洞試験の結果水平尾翼がまだプロペラからの気流の影響で異常振動することが判明するなど、機体の実用化は困難な状況になりました。
この解決のため改修に時間がかること、計画当初から戦局が変化したこと、同じ推進式の機体と同じ発動機を備えながらより有望と思われる九州飛行機と海軍航空技術廠が開発を進める震電の将来性、実用化の時期などに有望な見通しが付いたため、閃電は機種整理の対象となり1944年7月試作中止となりました。
キットはオリジナル新金型です。幻の高性能機を新規設計でモデル化しました。